中津祇園

2023年(令和5年)は、7月28日(金)~30日(日)に開催決定!
詳しくは、中津祇園保存協議会HP(こちら)をご覧ください。

中津祇園の歴史

中津祇園について

中津祇園1中津祇園は、10万石の城下町中津を代表する祭で、疫病退散と無病息災の祈願を目的に、毎年7月20日過ぎの金曜日から日曜日の3日間行われます。
下祇園上祇園合わせて「祇園車」と呼ばれる漆塗りの華麗な13台の山車と2基の御神輿が中津の城下町を御神幸・御巡行し、高〆が張られた辻々では祇園車の舞台で華麗な民舞等が奉納されます。
神社境内では、高さ約4~5メートルの祇園車を勇壮に走らせることから、祇園車は「走る文化財」とも呼ばれます。
闇無浜神社(くらなしはまじんじゃ)摂社の八坂神社を中心として行われる「下祇園(しもぎおん)」と 中津神社を中心として行われる「上祇園(かみぎおん)」の二つの異なる祇園祭が同日開催され、合わせて「中津祇園」と称されています。

中津祇園の歴史

中津祇園2今から約580年前の永享2年(1430)に、丸尾某の霊夢によって豊日別宮(闇無浜神社)および祭礼を再興し、下正路浦の漁民が祇園の御分霊を京都の八坂神社から改めて勧請し、下正路浦の漁師の村祭としてのささやかな祭が行われたことが、中津祇園(下祇園)の記録として残っている最も古い記述です。
約330年前(1683)に現在のような「祇園車」と呼ばれる漆塗りの華麗な山車が出されるようになりました。

中津祇園のみどころ

祇園車

祇園車中津祇園では、山車のことを「祇園車」と呼んでいます。
天和3年(1683年)、豊後町有志から「京都の祇園にならって美麗な山車を出してはどうか」との発意があり、当時の藩主である小笠原長胤が、美しい山車を京都から取り寄せて豊後町に与えたのが「祇園車」のはじまりです。
京都の祇園祭の山鉾とは違い、車軸(芯棒)を折れにくくして強度を確保するために、樹齢数百年の松等を輪切りにした大きな車輪(グル)を取り付けるスタイルとなっています。また、路地の狭い中津の町に、できるだけ大きな祇園車を御神幸させるため、屋根の両端を上向きに折り曲げた「折り屋根」も特徴の一つです。

練り込み

中津祇園練り込み正徳2年(1712)に、中津藩主の病気治癒を祈願して、祇園車を城内の椎木門から西御門まで走らせたのが「練り込み」の起源とされており、下祇園ではスピードが魅力の「棒練り」、上祇園ではダイナミックな舵切りが魅力の「廻し練り」が行われます。

御船歌

中津祇園御船歌中津祇園唯一の舟車である「下正路町舟車」で唄い継がれている歌で、江戸時代の参勤交代で船を利用する藩主の江戸への旅立ちの時や、藩主が新造船をつくり進水式の時に、士分格の御船手(みふなて)により唄われていました。
廃藩置県により、御船歌は全国的に消滅してしまいますが、幸いにも中津藩の「御船歌」は、下正路町が闇無浜神社の次官として唄い継いでいたため、一部が現存しています。

辻踊り

中津祇園辻踊り朝車および戻車の御神幸・御巡行で、「高〆」の下に祇園車を停め、踊り等の芸能が奉納されます。古来、悪霊などは通りの辻や町と町の境界から侵入してくるものと考えられていました。
中津祇園においては、人々はそのような場所に高〆を建て、御神幸で下界にお越しになった祇園の神様を一時的にお迎えし、悪霊退散していただこうという意味で、芸能を奉納するものと考えられます。芸能の奉納が終ると、高〆の結界が解け、次の高〆に向けて祇園車の進行が可能となります。

祇園車共演

祇園車共演「走る文化財」とも呼ばれる祇園車ですが、下祇園と上祇園の全ての祇園車と御神輿を一堂にご覧いただけるのは、中日「朝車」の歩行者天国で開催される「祇園車共演」だけです。
下祇園と上祇園が交互に、自慢の祇園車・御神輿を魅せます。

やりどり

中津祇園やりどり祇園車が舵を切って威勢良く交差点を曲がることを「やりどり」といいます(※「やりとり」と呼ぶ町内もあります)。
祇園車進行の司令塔となる4名が祇園車の四方に付いて、「面舵」「取舵」「良候」(ヨーソロー)の合図を出します。「面舵」は右旋回(祇園車の中心から見て祇園車の頭が時計回りに回る方向)、「取舵」は左旋回を意味し、「良候」は「舵を切る必要なし」ということを表しています。中津祇園の起源が漁村の祭であることから、祇園車を船と見立て、操船の言葉が使われてきたと考えられます。

松前音頭

中津祇園松前音頭下祇園の「龍王町踊車」が舟車時代から唄い継いでいる歌で、朝車の早朝に闇無浜神社を発つ時や、戻車の練り込みの時に御神前で唄われます。古老が音頭を取り、若衆が合いの手を入れます。北海道の松前地方から伝わった歌とされており、さらにそのルーツを遡れば、伊勢の「木遣り」であるとの説もあります。

影向楽

中津祇園影向楽祇園車の原型となった「豊後町御神殿奉斎車」の前で奉納される「影向楽」(ようごうがく)は、優雅な稚児舞です。神仏の出現などに奏する舞と音楽を意味すると考えられています。戦後に一度は衰退したものの、平成25年(2013)に復活しました。

祇園囃子

祇園囃子中津の祇園囃子は、鉦の打ち方に特徴があり、祇園車の動く速さに応じて鉦を打つ調子(テンポ)を速くしたり、遅くしたり、鉦を打つ力に強弱をつけて音階音程をつくりだします。このような特徴から、小倉祇園が「太鼓祇園」と称されるのに対し、中津祇園は『鉦祇園』ともよばれています。かつて中津と大阪は、瀬戸内海を通じて経済的な結び付きが強かったことから、大阪のだんじり囃子が中津に伝わってきたと言われています。

還御祭

中津祇園還御祭「還御祭」(かんぎょさい)は、2日間に渡る御神幸を終えた御神体が、再び八坂神社へと御還りになる神事です。
最終日、御神輿と下祇園すべての祇園車が練り込みを終えた後に行われます。
御神体が納められるその瞬間は、社殿のみならず、各祇園車の灯りも断ち、還御祭に立ち会う人たちは、二礼二拍手一礼で見送ります。

中津祇園のスケジュール

汐かき
「汐かき」では、祇園祭に参加する青年が御祓を受けてから海に入って汐を取ります。
そのときの真砂は玄関先に小さく盛って清めに用い、海水は祭典の朝に、笹で御神輿の担ぎ手や祇園車の曳き手に振り掛けられます。
町内まわり
一部の町内では、翌日の「引き出し」に先立って、「町内回り」(町内踊り、前夜祭)が行われます。
引き出し
午前中から各祇園車が自町内を回り、夕方以降に神社へ引き出されます。
朝車
早朝に御神体が御神輿・祇園車に移され、二日間の御神幸・御巡行が始まります。
戻車
午前中に御旅所を出発し、氏子内を御神幸・御巡行し、神社へと戻ります。

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