歴史・文化
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秣城跡
宇都宮氏の一族の秣氏の居城です。城主秣大炊介は黒田氏に従い、犬丸殿と加来殿を討ち取りました。詳細情報住所大分県中津市…
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耶馬渓橋(オランダ橋)
2023年7月の大雨被害のためしばらくの間観光できない状況にありますことご了承ください(7/15記)2022年、国の重要文化財に指…
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羅漢寺橋
羅漢寺橋は青の洞門の上流約500mに位置し、上流の馬渓橋、下流の耶馬渓橋とともに耶馬渓三橋と呼ばれています。1920年の竣工…
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日本遺産センター 耶馬渓風物館
日本遺産センター耶馬渓風物館は、大正の頃、広島の漢学者小野桜山が全国行脚により収集した古書一万冊を収蔵した「馬渓文庫…
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一ツ戸城跡
一ツ戸の領主中間氏の居城跡。城主中間統胤は官兵衛の傘下に加わりました。一ツ戸城は、豊後・筑後との国境に近かったため重…
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平田城跡
白米城とよばれる城館跡です。もとは野仲氏の支城でしたが、長岩城落城後、黒田二十四騎の一人栗山利安に旧領が与えられ、利…
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長岩城址
長岩城は、川原口にある山岳城で、下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城です。初代城主野中重房が、建久9年(1…
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後藤又兵衛の墓
戦後時代の武将「後藤又兵衛」伝説を裏付けるかのように、名勝耶馬渓「伊福の景」の山里に、ひっそりとたたずんでいます。付…
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光円寺の格天井書画
光円寺の開基は北山大納言実衝朝臣の次子、左中将俊季朝臣南北朝の時、乱を避けてこの地に隠棲しました。世人は北殿あるいは…
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高山オリ子美術館
廃校になった深耶馬溪中学校が「高山オリコ美術館」として生まれ変わりました。教室だった8部屋のうち、7部屋は展示室として…
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やんさ祭り
大野八幡神社縁起といい、毎年12月の第一土曜日の寒中の夜に、大野八幡神社で行われる勇壮な裸の餅つき祭りです。この神社は…
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馬溪橋
馬溪橋は1914年(大正3年)11月に竣工した下城井橋が1922年(大正11年)4月に流失したため、その代替として名前を変えて約70m…
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薦神社
宇佐神宮の祖宮とも言われる薦神社別名大貞神社と言われる薦神社は、全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮の祖宮と言われていま…
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神尾家住宅
一部工事中のため、立ち入りを中止させていただいております。再開までしばらくお待ちくださいますよう、お願いいたします。2…
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山本登久の墓
山間の地にありながら献体を申し出た山本登久の墓です。明治19年5月12日、九州で最も早い時期の献体解剖ではなかったかといわ…
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念仏橋
令和5年7月豪雨の影響により、念仏橋人道は現在通行できません。ご了承ください。魔林峡の上流に架けられた石橋です。昔から…
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万葉歌碑ロード
猿飛千壺峡沿いには、全国から公募した万葉歌文学コンクールで入選した作品の歌碑が立ち並び、川のせせらぎの中で万葉の世界…